反対の窓から見下ろす首都高の高架下から新大橋の風景は昔 新橋から歩き通った順路
ほとんどの窓に明かりがつき、まだ働いている人がいるという事が安堵感につながった朝日新聞社のビルは見上げるように大きかったけど ここから見るととても小さい
存在もしなかった空にある位置から何も変わらない市場正門に続く通りは未来から昔の時間を眺めているような不思議な感覚
時間過ぎていくなかで大きくなったり小さくなったりするもの、消えていくもの 忽然と現れる物
ちょっとあそこまで降りていってあの蕎麦を食べてみよう
あんまり好きでなかったけど 「蕎麦食べよう」と言われ、たまにススっていた連れ蕎麦
天ぷらの衣がユルユルっと離れダシと共に口内に侵入してくるのが旨いものだと感じた時、回りの人があのユルユルを丼のふちから取り込み 「あー」と小さく呻くのに納得 あの頃 借金も責任もなく時間が沢山あった
ユルユルをチュルチュルして「あーこんな事ばっかやってると健康診断でまた小言を喰らうかも」とよぎる2006年暮れ
得ているのか失っているのか
バートに立ち食い何某がないかと想像するのは我々日本人だけなんでしょうけど 本当にそー思いますよね、
経営難っていってないで、商業施設として発展させたらいいと思うのですが、、
フルーツベールステーションには "suruki" があるのでうどんかラーメンは食べれますけど 用ないですもんねあの駅 ハハ
Posted by: | 12/23/2006 at 10:48
細胞膜が弱ってる二日酔いの朝、バートのエスカレーターを降りる度、立食いそば屋の蜃気楼を見たものでした。何件かこちらに輸出して来て下さい。。。Happy holiday!
Posted by: meiji apollo | 12/23/2006 at 04:17