アメリカ人はイミテーションに走るようになった。もどき文化に始めて遭遇したのはラスベガス、New Yolk New Yolk, Paris, Venetian, Aladin 撮影セットのような薄っぺらいタッチ、それでいて、スケールだけは豪壮なホテル群、似ても似つかない料理を前にレポーターが「これでもうパリに行く必要はない」と言う。
よく、アメリカは自国の文化がないので、ヨーロッパなどの文化の深い国々にコンプレックスがあると言われ、これら一連の行為が文化への渇望などといわれる事もあるが、「こんなことしたら楽しいのでは」っと単に能天気にエッフェル塔やベニス運河の"もどき"を冗談半分で作っているだけだと思っていた。
しかし最近新しく出来る巨大なショッピングモールなどの建築様式や使われる建材などが、ラスベガススタンダードのように文化臭の希薄なキット的な物に統一されてきている。徐々にこれが本気のアメリカンスタンダードになっていっているのを感じる。
同じような文化の稀釈を恵比寿のタイユバンロブションの建物に感じるが、あれを良しとするは、アメリカ人の今の先端感覚に近い。
先端感覚を持ち合わせないので、建物や人に、時間や時空との接点を求めてしまう。
打水された店先、古くからの料亭の門をくぐる時に感じる凛とした緊張、
客がちゃんと閉めないサッシドアからモレ出る煙と含まれる脂で、どんより重そうな暖簾のかかる焼肉屋の包容力。
生まれた頃からある立ち食いうどんの存在、これらそれぞれの場所にはそれ独特の時が流れ、その時の気配を感じる事が出来る。
おそらくバブルの頃のプロジェクトで止むに止まれず推し進めたのであろう、サンノゼにほぼ完成した"SantanaRow"。マンション、ホテル、レストラン、ショッピングと総てが内包された複合の "もどき"センター。時間や空間接点を断ち切った、突如としてあらわれるプラスティクのような街。
プロジェクトはヨーロッパの町並みの様なと"ような" を謳う。
中に設定されたレストランは他の場所でも増殖できるように内装、メニュー、サービスと統一設計されている。すでに他の場所にも展開しているが、他の場所で同じ系列のレストランに入ると同じ絵や写真が壁にあり、どこにいるのか座標感覚をロストしてしまう。
料理もショーケースに並ぶ食品サンプルが突如食べれるように変身したように、小ぎれいであるが、よそよそしい。
"Left Bank" は名の通リフレンチ系なメニュー構成、エスカルゴを頼んでみる。よそよそしさが出ない料理だと思ったのだが、アメリカ文化のフィルターで漉されたエスカルゴは本来の風味も食感も当り障りのない、フランスとは縁を断ち切りながらフランスのフリをするものに変換。内装もサービスも料理も取り立てて文句のつけどころはない風なのになぜか寒々とした寂寥感はどこからくるのか、
一昔前、日本人は皆同じ服を着て、カメラを首から下げ、ビデオを片手に集団で同じ行動を取るというステレオタイプが言われたが、スタバのカップを片手にGAPかバナリパの服に身を包み、同車種のようなミニバンを操り、どこでも同じメニューを広げ、コピー増殖する家並みに住み込みはじめたアメリカ人達
馴染めない自分は彼らにウイルスのように見えているかもしれない
Comments